アート

どんなに孤独でも、どんなに小さなものでも、どんなにくだらないと思えるような些細なことであっても、自分がいま感じている「自分自身の感覚」から、その「生の声」を聴くことからはじめなければ・・・・・・


そうでなかったら本当のことは何も始まらない。


既にある「価値体系」を前提として、それに巧みに則ったものではなく、それらを全て取っ払ったところで出てくる感覚。それをこそ大事に育てなければならない。


それは社会に受け容れられるものとは限らない。社会に受け容れられることを前提として創造されるものはアートではない。


ボディワークを一緒に勉強した仲間で、学生時代に絵画で賞をとり、画家を志したこともある女性が言っていたが、「絵を描く」ということは、一見静かな作業でありながら、とても「動的」な作業なのだそうだ。一つ置いた筆の色によって、次の色が決まり、さらに次の色、とどんどん新しく展開していく。それは「自分が色を決める」のではなく、「絵が色を決める」という感じなのだろうか。


彼女は「ボディワークもアートだと思う」と言っていた。定式化されたものではなく、まさに、施術者と被術者との間で生まれるものがある。その「流れ」をつかむことができれば、後はそれに身を任せることによって、プロセスが自動的に進行していく。次にどこに触れるのか、どういう触れ方をするのかといった具体的な事項は、頭で考えなくとも自ずとプロセスが教えてくれる。


流れに身を任せることで見えてくるものがあるのだ。その瞬間の声を聴くこと。いかなる分野であっても、それこそ真に「アート」と呼ばれるべき営みだ。