脱力が大事だと知ってはいても、なかなか実際に脱力することができないのは、心身がその深奥でバランスを取っているからだ。 一部分だけに注目し、そこのみ脱力しようとしても、上手くいかない。 結局人間の身体、そして心も含めた存在全体が、トータルでバ…
人間の心は、過去や未来に自由に飛ぶことができる。 しかし、身体はここにしか存在せず、また、身体が物理的に制約されている存在である以上「一つの瞬間に一つのあり方」しか選択できない。 であれば、そのあり方=動作、行為、当為そのものに「成り切って…
すべてにおいて「勝つ」必要はないが、「負けないこと」は大切なことである。 勝負はルールに基づいた競争の結果である。 勝ちがあれば、負けがある。 ルールと競争の特性を熟知し、勝利に向かって自分をコントロールしていくことは、確かにおおいに意味のあ…
過去は変えられる。 過去に起こったことそのものは確かに変更不可能である。 しかし、「過去に起こったことに対する、現在の態度」は自分の意志で如何様にも変えることができる。 「過去に起こった出来事が、現在の私に影響を与え続けており、私に対する桎梏…
方法論の積み重ね、知識の積み重ねが真理に近づく道ではない。 それはむしろ、真理から遠ざかる道を歩んでいるのかもしれない。 関わる主体の意思に関係なく「これをやっておけば、大丈夫」といった方法論など存在しない。 方法論や知識は間違いなく大切なも…
世界を変えることは、誰にでもできることではない。 でも、自分を変えることは誰にでもできることだ。 自分が変われば世界は変わる。 客観的で不変な世界など、存在しない。 刻一刻とこの瞬間にあり方を変えていく世界の姿があるだけだ。 それは私を映す鏡の…
ダメな自分の姿は認めたくないものだ。 しかし、認めてあげなければ、変わるきっかけも与えてあげることはできない。 改善は、排除することではなく、異なったところから光を当ててあげることである。 単なる嫌悪感からくる排除は、その最も排除したいものの…
自然を作り出すことはできない。 既にそれは存在しているものだからだ。 そのものがそのままに表現されること。 何の飾り気もなく、何の気取りやてらいもなく、 それでよい。 作られた自然さは、必ず不自然となる。 作為で色付けされた世界に人は住んでいる…
目の前にあることをひとつひとつ片付けていく。 焦らずに、そして確実に。 眼にも留まらぬ熟練の技もその延長から生まれる。 表面だけの真似をしないことだ。 原点に還れ。原点に戻れ。 一つ一つの動きに、全く同じものなど何一つない。 昨日と変わらない、…
人からひどいことをされたとする。 そのひどいことをした人は、人の心の大切さを教えるために、わざわざ自分のために現れてくれたのである。 そう考えれば、すべての人が自分の師匠であり、すべての経験が自分を成長させる糧となり得る。 情報を判断する基準…
今生きている。その意味とは何か。 二度と同じ自分は存在しない。変わり続ける、変化し続ける。 そう、変わり続けること。それが生きる意味だ。
人生をマラソンに例える人は多いが、サーフィンも近いかもしれない。 人は天体の中で生きている。 潮の満ち引きも、寄せては返す波の動きも、宇宙のリズムであり、呼吸だ。 乗っていけばいい、波の中を。 波の性質とリズムを見極めれば、楽しみながら乗って…
今の俺は「過ぎゆく通過点」として、たまたまここにこういう姿をして存在している。
自分を守るためには、わざわざ喧嘩をする必要はないかもしれない。でも、傷つけられているとか不当に貶められている仲間がいたら、そのときは本当に喧嘩するときじゃないのか。 どうする。何を捨て、何を求めるんだ?
「自分はひどい人間だったなあ」とふっと過去を振り返って思うときがある。自分の未熟さや、幼稚さにウッと息がつまり、思わず苦笑いするときがある。 でも、自分に失望するところがあるということは、また、理想の姿、目指すべき姿も知っているということで…
限界は自分自身が作っている。勝手に自分の脳がそう思い込んで決めているだけだ。そのことに少しでも気づけば、いくらでも次に開ける道があると思う。想像力を働かせて、未来を思い描く。もっといいあり方、もっといい解決法があると信じてイメージしてみる…
人類は38億年の生命の歴史の中で、現存する生物の最高のバージョンとして存在している。 だから、個々人全てが、38億年の生命の歴史を背負って生きているのだ。 同じ人は二人としていない。全てが独自のあり方をして人は存在している。 「この人は、こういう…
今、身の回りで現実に起こっていること。これは、心の中で既に予想されていた「できあがっていた」ものではないのか。 心にはすごい力がある。頭の中で描いているイメージ、想念が現実を引き寄せ、実現させている。 このことが少しでも理解できれば、人生が…
振り子で、一つの方向に行こう行こうと思ってもなかなか行くことはできない。 反対方向に振れば、手を離すだけで望みのところに行くことが出来る。
こころは遍在する。 だから、いまここにもある。 いつだって、どこに行ったって、こころの中に自分は存在している。 だから、いまここからでも始められる。 どこに行っても、何をやっても、私のこころの中だ。 私の中にいて、私が私に出会い続けるプロセス。…
「大自然の懐にいだかれる」とは、別に特別なことではない。山とか海とか森林とか、壮厳な風景を前にしなければ味わえないものでもない。 全ての人間があらゆる瞬間に行っていることだ。 「生きている」ということはそもそもそういうことなのだ。 ただ、普段…
人間は、そもそも不完全なものである。どんなに優秀な人間であっても、失敗はするし、ドジを踏んだり、判断を間違うときが必ずある。 でもそこから何かをつかんで生きていく力も必ず誰もが持っている。 だからこそ生きる意味がある。生きる価値があるのだ。 …
言霊(ことだま)という字のごとく、言葉には生きている力が宿っている。 それは、人を勇気づけたり、元気づけたり、良き方向へ導くものともなれば、反対に人を傷つけたり、怒りや恐れや失望を呼び起こしたりするマイナスの存在ともなりうる。 だからこそ、…
自分の小ささを知る。 大きなものの存在が分かれば、自分はその分だけ小さく見えてくる。 自分が大きな存在だと錯覚しているのは、自分よりももっと大きなものの存在を知らないからである。 大きなものの存在を知れば、小さな自分をどうすればよいかの道筋が…
禅に出てくる言葉。 「自分は悟った。真の自由を得た」などと思ったら、そんなものはさっさと捨ててしまうのがよい。 「自由を得た」と思い込んでしまうことこそが、そもそも不自由なあり方である。 そんなものは、たいてい脳が見せている幻想なのだ。酒や麻…
まっとうな心。それだけだ。
宇宙の大きさにくらべたら、自分の存在なんてほんのちっぽけなものでしかない。 宇宙が出来てからの時間にくらべたら、どんなに長いように思える人生でもあっという間である。 でも「はかない」とか「虚しい」というものでもない。そういうものなのだ。 そう…
逆説的だが、自分の弱さをきちんと認められる様になると、人は強くなれる。自分の弱さを認めたくない、否定したいと無意識に考えている「弱い」自分がいる。 もうそろそろいいだろう。きちんと認めてあげても。
自分を何か「特別な存在」としてしまうと、逆に力が発揮できなくなる。特定のものに「決める」ことが力を限定してしまう。 普通が一番力を発揮できる。普通だから何にでもなることができる。特別のものになることも選ぶことができる。
自分の身に起こったことは、自分で解決できる力を人間は持っている。小さい様に見えても思いのほかすごい力だ。 だから、どんな時でも希望を見失うな。いままでついてきた身体、心、魂という仲間がいるだろう。先が見えない袋小路に陥った時、案外そこが次へ…