2007-04-01から1ヶ月間の記事一覧

自然に還る

もともと、人間は生物であり、自然の中に生きる存在であった。でも、そんなことは現在多くの人が忘れている様でもある。 「意識によって全てをコントロールできる」と思い込むのは、人間の傲慢だ。人間が生きているのは自然の働きによるものであり、自らの意…

立ち直る強さ

人間は、いろんな失敗を犯し、間違いも沢山やる。その度に深く傷つくこともある。でも、必ずその度にその経験を活かして立ち直る強さも持っている。人間の中には、立ち直る自然の力=「自然治癒力」が宿っているのだ。自らの内にある自然の力を信じ、それに…

自然に対する造反

「自然」という言葉は、普通「外側にある自然」のことを指して使われる。これには「人間(一個人)」対「外側にある自然」という対立の意味が暗に含まれている。一個人は「自然」ではないのだ。 しかし、当たり前のようだが、人間は生物である。思考作用は人…

力は我

「我」とは「私」のことだが、「我が強い」という言葉での「我」は、自分に対する執着を示す。 つい力が入ってしまう、力んでしまうとか、何かを頑張るときに力が入るというのは、それがそのまま「我」の現れだ。「我が強い」とは、そのまま力が入りやすいと…

幻想

「幻想」や「妄想」と呼ばれるものがある。頭の中で繰り広げられる現実離れしたイメージや想像力の産物。 でも、その幻想を抱いている本人にとってみれば、それは紛れもない「現実」である。頭の中にイメージ情報が想起され、それに対応した脳神経も活動して…

真剣であること

「真剣になる」の反対は「不真面目になる」だろう。 「力が入っている」の反対は「力が抜けている」ことだろうか。 では、「真剣になるあまりに力が入ってしまう」ことの反対は、「不真面目になって力が抜けている」ということになるが、言葉のうえではそう…

プロセスを楽しみながら

結果だけに捉われると、それに至るプロセスを楽しむことができなくなる。本来、「計画→実行→結果」とその全てのプロセスに意味があるのに、結果だけを考えると、それに至る方向性も限定され、思考や視野が狭くなってしまうのだ。 現実の世界では、どうしても…

心眼

「心眼」とはものの本質を見抜く「心の眼」のこと。思うに、現象を視覚のみで捉えようとすると、表面的な情報しか入ってこないが、聴覚、触覚、嗅覚、あるいは五感を超えた「気配を感じる」感覚、といったあらゆる感覚を駆使して現象を捉えると、その本質が…

腹まで自然に入る息

どんな動きであっても、腹まで自然に息が入らないようならば、どこかに力が入っている。一般的に運動と呼吸とは別々のものだと考えられている。筋肉が各々の機能を果たせば、呼吸など、吐いても吸っても、止まっていてもどうでもよいと。 しかし、呼吸も間違…