2006-06-01から1ヶ月間の記事一覧

勝手にやってくれる

ボディ・コーディネーションでもよく言われたことだが、「動きを意識する」のと「意識して動く」のとでは似ているようでも全く違う。 意識を使って何かやろうとすると、ついついぎこちなくなってしまうことがある。放っておいても勝手にやってくれることを変…

掃除をするときの態度

今日は、合気柔術の稽古。稽古中にフッと昔読んだ覚えのある本の一フレーズがよみがえって来た。 禅の高僧曰く「座って静かに瞑想しているときと、庭を箒で掃いているときとの間に本質的な違いは全くない。禅とは座禅そのものだけでなく、掃除をしているとき…

いろんなものを許す

許してあげないと次のステージに行けないから。*1 *1:写真は「toshiの写真箱」

過去は幻想

自分にとってどんなに確かなように思えることでも、過去のことは所詮自分の頭の中で生み出されている幻にすぎない。結局は与えられた情報についての自分の解釈。同じ情報が与えられても人によって全く解釈が違っていたりする。 自分の中で整理されていない情…

均等な感覚

「高速道路の後に細い路地が続いていたり、異なる道の幅と最高速度が混在している道」と「普通の道路が延々通続いている道」であれば、後者の方が車がスムーズに流れることだろう。 おそらく、身体もこれと同じで、「身体が均等な感覚」を持てたときに、力は…

修行

「修行」とは、ちょっと堅苦しい言葉だ。でも、これは身体を持ってして自分を高めていくことを意味している。「行」は「行う」こと。すなわち身体を通してのトレーニングということだ。頭で考えるだけではなく、身体を持って実感すること。これがとても大切…

力と気

太極拳の練習をしていると、フッといつか練習で言われたことを思い出した。 「『力が抜けている』と『気が抜けている』は全然違う」 普通、力を抜くと、気も抜けてしまうような気がする。でも、本当に合理的に身体を使い切るということを考えれば、やはり「…

全身を万遍なく意識すること

昨日の続き。「全身運動」と言う言葉があるが、全ての運動は結局全身運動だ。「動かさない」、「使わない」のも動きのうちである。 たとえ動かさないとしても、そこにその部位が存在する限り、しかも重さを持って存在している限り、ポテンシャルエネルギーは…

頭も身体のうち

当然のことなのだが、それでも自分のどこかに 頭 −首から上−考えるところ−静止−動きには使わない 身体−首から下−頭のしもべ、頭を支えるところ−運動−動きに使う というイメージが根強く残っていたようだ。身体のことを考えるときに、頭をしらずしらずのうち…

力は遠いところから

今日は、合気柔術の稽古。 練習中にフッと、野口体操で言われていたことが、頭の中によみがえってきた。 「動力としての力を出すところは、実際に仕事をするところよりも遠く離れている程よい。実際に仕事をするところが、力も出しているようでは、絶対にい…