手抜き

bon-naoto2006-01-30

年齢を重ねるにつれて、段々余計なことはしなくなってくる。「手を抜く」ことを覚えるのである。この「手抜き」にも、いくつかの種類があるだろう。


ひとつには、「これまでの人生経験を活かし、無駄が省ける」ということ。余計なことはやらずに、エネルギーの省力化を図ることができる。10代、20代の若い頃は自然といろんなところに力が入っているものだ。いやでも力が入ってしまうということがある。それはそれでいいのかもしれない。でも、30過ぎくらいから肉体的に筋力がどうしても衰えてくる、それが人間を効率化の方向へ向かわせるのだ。


これを「いい手抜き」とすると、「悪い手抜き」というものもある。それは、「何事にもやるにも惰性的で、物事を新鮮に見られなくなる」というものだ。自分で、もう何もかもわかったつもりになってしまう。そうすると、真剣に向上しようともしなくなってしまう。「分かったつもりになっている」というのが一番恐い気がする。


そんな状態を打開するのが、「今の身体の状態を感じ、その声を聴く」ことであろう。自分の身体感覚は、そのときそのときに変わる常にライブなものだからである。身体と対話している人は、常に世界を新鮮に見ることができる。*1

*1:写真は「toshiの写真箱」