自然に対する造反

bon-naoto2007-04-22

「自然」という言葉は、普通「外側にある自然」のことを指して使われる。これには「人間(一個人)」対「外側にある自然」という対立の意味が暗に含まれている。一個人は「自然」ではないのだ。


しかし、当たり前のようだが、人間は生物である。思考作用は人間の特権であるが、その思考も、生物としてこの世界に生きていられるからこそ出来ることだ。生物が生きていくためには、その大前提として自然法則に則っていなければならない。そう、ともすると見失われやすいが「内側にある自然」というものが厳として存在している。最も身近な自然である。


自然の法則を無視して、環境を破壊する人間の行為は時として非難や反省の対象となるが、自分の最も身近にある自然については、殆ど省みられることがない。どんなに無理をしようが、負担をかけようが、その行為に問題があると認識されることも稀だったりする。自然に対する造反はいつかしっぺ返しをくらうことになる。


今の地球環境が人類がこれまで行ってきたことの結果なのだとしたら、今の自分のあり方も、これまで自分に対して選択してきたことの結果である。自然の法則に反して無理をし続けてきたら、どこかに反動がでるのは当然のことだ。自然の法則に嘘はない。


結局「外部の自然破壊」も「内部の自然破壊」も同じことだ。環境を何とかしたかったら、最も身近にある自分自身という自然環境を何とかすることからはじめることだ。これには、お金もかからないし、大掛かりな計画や設備も必要ない。多くの人員を要することでもない。ほんのちょっとフォーカスを変えてみること。たったそれだけのことなのだ。これは、何と素晴らしいことだろう。


世界をかえるきっかけとなるのは、そんなほんの小さな視点の変換なのだ。*1

*1:写真は「toshiの写真箱」