自分の真の姿を見ること

自分の真の姿を見つめることは、たいへんな恐怖を伴うことかもしれない。だからこそ、普段はなるべく見ないようにしているのだ。平常時に「これが自分」と思っている以外にももっと違う自分がいるかもしれない。それは普段は自分と認めないような自分である。


最も認めたくない自分の姿がちらっとでも垣間見えたとき、とても嫌な気持ちになるだろう。でもそれもまた真実なのだ。平穏無事で何事もないような日常の中にも、そんな自分の真の姿と向き合わざるを得ないような瞬間もある。


全てをそのまま感じればいいのだ。不安は不安のままで、恐怖は恐怖のままで。沸きあがってくるものをそのまま見つめたらよい。