海と波

他人と自分を比較しすぎると、自分の存在価値を見失い、疲れることになるだろう。多くの不幸とは、人と自分を比較しすぎるところからくるものなのではないか。


自分を高める材料として、競争相手と自分を比較し、自分の発奮材料とすることは、多いに結構だが、「他人に勝つこと」そのものが目的化してしまうと、自分の価値を認めにくくなるだろう。


この世界は、根本的にひとつのものであり、私たちは、おおもとにおいて全てつながっている。それを「海」とするならば、私たちの一人一人は、水面に現れる「波」のようなものであり、それは、巨大な海が取りうる形としての一つの形態だ。私たちは「海」としても存在しているし、同時に「波」としても存在している。


波の形がひとつひとつ異なり、同じ形ものは決してない様に、私たちの一人一人も、決して同じではなく、独自の形をもっている。


私たちが根底においてつながっていることも素晴らしいことであれば、私たちの一人一人それぞれが独自性を持って存在していることもまた素晴らしいことではないか。同じ形のものは二度とない!


そして、波の一つ一つに優劣はない様に、その根本において私たちの一人一人に優劣は存在しない。


優劣があるように見えるのは、この現実世界を動かしていくために、誰かが作り出したルールであり、方便だ。これなくしては、この世界は動いていかないし、勿論大事なものではあるが、時代や場所や状況によって変化する相対的なものであり、その価値観が存在することを有利と考えた人の頭によって作り出されたものにすぎない。


その相対的な価値観を、あたかもはじめから存在する絶対的なもののように信じているとしたら、あなたはこれまでのどこかで、それを刷り込まれ、洗脳されているのだ。本来、存在の根底に立ち返れば、「ただある」というだけであって、優劣は特にないのである。


この前提を踏まえたうえで、優劣のあるこの現象面の世界、現実世界を生きていってはどうだろうか。現実に振り回されることもなくなり、この世界を生きるしたたかな戦略も湧いてこないだろうか。