全てを高める運動とは

身体運動が単なる「運動」に留まるものではなく、その人の心や人間性、生き方まで変える様なもの、「人生に響く様な運動のあり方」ということは何かとずっと考えていた。


身体だけ鍛えればいい、筋肉だけつければいい、あるいはまた試合に勝ちさえすればいいというのは、レベルの低い取り組み方だろう。必ず筋力、体力は衰える時がくる。試合だっていつでも勝ち続けられる訳ではない。


同じことは、受験勉強にもいえる。本来「立派な人間になる」とか、「自分を成長させる」、「人の為に役立つ」為にあるはずの勉強が、いつのまにか偏差値を上げる為のレースになってしまっている。「結果だけ出せばいい」と言う考えを押し進めていけば、中身のない人間になるのは当然だ。


試験や試合は、あくまでも今の実力を測るため、そして今後の上達の指標とするための「方便」に過ぎぬ。それがいつのまにか、試合で結果を残すことが最終目標になってしまう。目的と目標を取り違えてはならない。自分の糧になるのは、自分を成長させるプロセスそのものであって、結果ではないのだ。


死ぬ間際に何を持っていけるか。何が自分にとって誇れるものとなるのか。金メダルや合格証書はあの世に持っていけない。持っていけるのは、磨き上げた魂そのものなのである。