自分に失望するところから

「自分はひどい人間だったなあ」とふっと過去を振り返って思うときがある。自分の未熟さや、幼稚さにウッと息がつまり、思わず苦笑いするときがある。


でも、自分に失望するところがあるということは、また、理想の姿、目指すべき姿も知っているということでもある。


反省や後悔は未来のためにある。

限界を超えること

限界は自分自身が作っている。勝手に自分の脳がそう思い込んで決めているだけだ。そのことに少しでも気づけば、いくらでも次に開ける道があると思う。想像力を働かせて、未来を思い描く。もっといいあり方、もっといい解決法があると信じてイメージしてみること。


自分の想像力で未来は作り出すことができるのだ。

この人はこういうあり方をしている(=今の最高形態)

人類は38億年の生命の歴史の中で、現存する生物の最高のバージョンとして存在している。


だから、個々人全てが、38億年の生命の歴史を背負って生きているのだ。


同じ人は二人としていない。全てが独自のあり方をして人は存在している。


「この人は、こういうあり方で現在存在している。」生命の38億年の歴史を感じながら、現存する個々人の存在のあり方を観察してみると面白い。

心はすごい力を持っている

今、身の回りで現実に起こっていること。これは、心の中で既に予想されていた「できあがっていた」ものではないのか。


心にはすごい力がある。頭の中で描いているイメージ、想念が現実を引き寄せ、実現させている。


このことが少しでも理解できれば、人生が「何ものかに支配され続けている」かの様な不自由なものではなくなるはずだ。


結局は、自分のあり方は、自分が全部決めているのだ。


あなどったり、みくびったりしてはならない。

こころは遍在する

こころは遍在する。


だから、いまここにもある。


いつだって、どこに行ったって、こころの中に自分は存在している。


だから、いまここからでも始められる。


どこに行っても、何をやっても、私のこころの中だ。


私の中にいて、私が私に出会い続けるプロセス。それがこころというものだ。

大自然の懐にいだかれる

大自然の懐にいだかれる」とは、別に特別なことではない。山とか海とか森林とか、壮厳な風景を前にしなければ味わえないものでもない。


全ての人間があらゆる瞬間に行っていることだ。


「生きている」ということはそもそもそういうことなのだ。


ただ、普段はその自覚はあまりないかもしれない。


大自然が分かりにくければ、大宇宙と言い換えても言いだろう。


すべての人間が、否、すべての存在が大宇宙にいだかれて旅をしている。


包み込まれ、浮かびながら、常に流れているのだ。