作られた自然さ

自然を作り出すことはできない。


既にそれは存在しているものだからだ。


そのものがそのままに表現されること。


何の飾り気もなく、何の気取りやてらいもなく、


それでよい。


作られた自然さは、必ず不自然となる。


作為で色付けされた世界に人は住んでいる。


そしてそれこそ自然なことだと思っている。


自らの生きてきた過程において身につけた圧倒的な不自然さに気づけるか。


気づくヒントは、いま生きているそのこと。


最もシンプルな事実。

いまここから

目の前にあることをひとつひとつ片付けていく。


焦らずに、そして確実に。


眼にも留まらぬ熟練の技もその延長から生まれる。


表面だけの真似をしないことだ。


原点に還れ。原点に戻れ。


一つ一つの動きに、全く同じものなど何一つない。


昨日と変わらない、何の変化もない様などんなつまらなく思える日々でさえ、


同じ日は二つとしてないのだ。


その微妙な差異に気づくとき、生命が息吹き始める。輝きを放ち始める。


いま、ここから始めよ。

相対化

人からひどいことをされたとする。


そのひどいことをした人は、人の心の大切さを教えるために、わざわざ自分のために現れてくれたのである。


そう考えれば、すべての人が自分の師匠であり、すべての経験が自分を成長させる糧となり得る。


情報を判断する基準を固定化せず、相対化すれば、情報を活用できる可能性が圧倒的に大きくなる。


決まりきった見方で決めつけて安心しないことだ。

人生は波乗りのように

人生をマラソンに例える人は多いが、サーフィンも近いかもしれない。


人は天体の中で生きている。


潮の満ち引きも、寄せては返す波の動きも、宇宙のリズムであり、呼吸だ。


乗っていけばいい、波の中を。


波の性質とリズムを見極めれば、楽しみながら乗っていける。

喧嘩は自分のためではなく、仲間のためにやる

自分を守るためには、わざわざ喧嘩をする必要はないかもしれない。でも、傷つけられているとか不当に貶められている仲間がいたら、そのときは本当に喧嘩するときじゃないのか。


どうする。何を捨て、何を求めるんだ?