自得すること

1

「有名な先生に習っている」とか「誰々先生の教えを受けた」ということ自体は、別段すごいことでも何でもない。自分の身にならなければ、本当に学んだとは言えないのだ。極論を言えば、誰からも教わらなかったとしても、それが出来てしまえばよいのである(難しいだろうが)。特に身体を使った技術に関しては、このことは重要なことに思える。


まあ、人によって価値観は違うから「誰々先生の下で学んだ」ということ自体に価値を置く人もいるだろう。別にそれはそれでいいのだが、それは「有名ブランド」をありがたがる人の心理に近いだろうか。


西洋では「ブランド品」とは、それに見合ったステータスの人が持つものと考えられているそうだ。あのブランドが欲しいから、それに見合う人になろうとする。自分を磨く。ところが、日本人はとにかく世間に認められている「高級ブランド」を手に入れようとする。お金さえあれば買える。ブランドを手に入れることと、自分の向上というのは取り合えず結びつかない。また、本当にそのブランドが気に入って選んでいる人もいったいどれくらいいるのか・・・・・・


万人向けに素晴らしいものというのは、ありえないし、もしそんなものがあったとしたら、それは結構つまらないものではないか。


どんなにいい情報を手に入れたとしても、それを体現するのは、この身体とこの心。自分に役に立つ情報かどうかということは、自分の感性を通して自分で判断するしかない。どんなことも結局は自得するしかないのである。