究極のシンプルな真理

bon-naoto2006-05-15

「究極の」とか言ってしまうと、大袈裟になってしまうが、真理というものは、真に迫れば迫るほど、シンプルなものだ。


「今の自分がどうなっているのか感じること」


結局これにつきるのではないか。「今の自分」は身体を基準にすると、とてもよく分かる。今の自分の状態がどうなっているかが自覚できれば、「ああ、俺って今こうなっているんだな」と言うことが分かる。身体と心が一致していることも分かる。というか、そもそも二つに分かれていること自体がありえないということが分かるだろう。


身体をよく感じてみて「ああ、今の自分が、これこれこうなっているから」ということ(原因)が分かれば、「だから楽しいんだな」「怒っているんだな」「いらいらしているんだな」「緊張しているんだな」「わくわくするんだな」・・・・・・ということ(結果)が分かる。何の不思議もない。「ただ、そうなっているだけ」たったそれだけのことである。


そして、きっとこれが一番楽だろう。


普通、これとは逆のことをついついやってしまうのだ。ホントは身体が違うことを主張しているのに、無理をして別の自分になろうとする。自分の決めた役割を無理に演じようとしてしまうこともある。


「男らしく振舞おう」「もっとちゃんとしなきゃ」「いつも威厳を持ってふるまわなくては」「組織に忠義を尽くすんだ」「自分は優しいからどんなときでも笑顔でいよう」などなど、強くそのイメージに囚われてしまうと、そうでない自分、そうありたくない自分を抑圧してしまう。


そして、身体と心が分裂してしまう。ホンネを捨ててタテマエだけの世界で生きることになる。ところが、抑圧してしまった自分がいなくなることはないから、身体が「そういう自分も認めて欲しい」と言ってくる。そして、いつか「自分探しの旅」などというご大層なものに出ることになるのかもしれない。


でも、何のことはない。「失ってしまった自分」も確実に今ここにいるのである。


今の自分がどうなっているのか感じること。
嘘つきの自分がいたら「嘘をついている自分の身体ってどんななんだろう」、
強がっている自分がいたら「強がっている自分の身体ってどんななんだろう」、
情けない自分がいたら「情けない自分の身体ってどんななんだろう」、
楽しんでいる自分がいたら「楽しい自分の身体ってどんななんだろう」・・・・・・


と問いかけて感じてあげれば「今の自分がどうなっているか」その答えを身体が教えてくれる。嘘はつかないし、どこにもいかない。いつもここにいる。*1

*1:写真は「toshiの写真箱」