「私のもの」=執着

bon-naoto2006-07-10

自分の感覚は私のもの
自分の身体は私のもの
自分のイメージは私のもの
自分の心は私のもの
自分の感情は私のもの・・・・・・


などなど、「私のもの」と思ってしまうと手放せなくなってしまう。きっとそれを「執着」というのだろう。でも、


感覚は、自分で作ったものじゃない
身体は、自分で作ったものじゃない
イメージを作り出すしくみは、自分でつくったものじゃない
心が生まれるしくみも自分でつくったものじゃない
感情が生まれるしくみもやっぱり自分で作ったものじゃない


結局は、全て自然の法則に従って起こっていること。自然現象だ。そのしくみは、人によってはそれを「神」と呼ぶかもしれない。


本来私が作り出したものではないものを「私のもの」と思うところに、執着や苦しみが生まれる。「私のもの」と思ってしまうと、手放したくなくなる。


でも、感覚は単に感覚でしかない。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚・・・・・・感覚器官を通して入ってきた刺激が脳で再現される現象。今見て、触れている世界は、脳の中で再構成された世界でしかない。本来は単にそれだけのことだ。


私の目で見ているから、この視覚は私のものだ
私の頭が考えているから、この思考は私のものだ
私が怒って(笑って、悲しんで、喜んで)いるから、この感情は私のものだ


でも「私の身体を通して現象が起きている」というだけであって、「私のもの」ではないのだ。