憲法九条を世界遺産に

憲法九条を世界遺産に (集英社新書)

憲法九条を世界遺産に (集英社新書)

という本を読んだ。お笑い芸人の太田光宗教学者中沢新一という、とても興味深い組み合わせで、一気に引き込まれるように読み終えた。


世界遺産」とは、世界の中でも稀で貴重な存在であり、後世のために是が非でも残しておかねばならないと思われるものが選ばれるものだ。そういう意味では憲法九条は確かに世界遺産と呼ばれるべきものなのかもしれない。


日本国憲法とは、戦争に負けた日本が、戦勝国アメリカによって押し付けられたものだ、と私も思っていた。でも、そのルーツを探ってみると、そんな単純なものではなく、その背景には、アメリカの先住民族による平和思想があり、また、環太平洋の平和思想が凝縮されているのだそうだ。


これから日本はどんどん普通の国になろうとしている。「軍隊を持つ」というのは、全く普通の発想である。他国から武力で攻め込まれたらどうするのか、どう自分達の生活を守るのか、そのために軍事力で武装するというのは、普通に考えられることであり、それ自体非難されるものでも、とがめられるべきものでもない。危険から自分を守るというのは、動物の本能でもある。人が自分を殺しに来たら、そんなことをしたくはないけど、やむを得ず身を守るために、相手を殺すというのも、勿論状況によってはだけど、ありだろう。


でも、この本の中で中沢は「憲法九条を失うことは、普通の国になることだけど、そのときに間違いなく日本は大事なものを失うことになる」と言う。


何だろう。夢に向かって突っ走ってきた若者が、急に現実に目覚めて夢を捨てて普通の生活に入っていくようなものか?


「そんなことをやっていちゃ、メシは食えねーぞ」、「もっと現実を見ろよ、周りを見ろよ、普通の生活をしろよ」そんな声はいくらでも聞こえてくるし、普通に考えたら、そういう意見は全くもっともだ。理想を貫くってそんなに簡単にできることじゃない。けど、だからといって簡単に捨てていいというものでもない、やっぱり。


いずれにせよ言えることは、軍隊を持つにせよ、非戦を貫くにせよ、覚悟がいるということだ。非戦を貫くことのほうが、世界に前例がない分だけ、もっと覚悟がいるだろう。


それは、いつか自分の手で人を殺すかもしれないし、また人によって自分が殺されるかもしれないという覚悟だ。自分だって、いつその側に回るか分からないということを十分に理解していないと、本当に平和を実現することはできないだろう。


でも、そんなことを普段は考えないのは、やっぱりいろいろ問題はあるにせよ、日本は平和だからだし、平和な世界を作ろうとした戦後の人たちの必死の努力があったからだし、そして、その精神の礎としての憲法九条があったからだろう。


そして、「改めて今暮している世界を見直してみる」という時期にも来ている気がする。