知識と理解

bon-naoto2006-11-28

新たに習い覚えた知識は、認識の範囲を広げることもあれば、逆に狭めてしまうこともある。とりわけその知識が自分にとって役に立ちそうな貴重なものであれば、なおさらだ。習い覚えた知識にしがみつくあまり、それ以外のものの見え方ができなくなってしまう危険と隣りあわせなのだ。こうなると、人間はひとつ自由を失うことになる。


特に「私は分かった」「理解した」と思えたときが、最も危険なときかもしれない。さらに危険なのは「私は悟った」と思えたときか。特に自ら「私は悟った」などと声高にのたまう人には注意した方がいいだろう。人にもよるだろうが、他のものの見方ができなくなっている可能性も十分にある。


どんなに自分にとって確かなことだと思えることでさえも、自分のいまのものの見方が、あくまでもひとつの側面、プロセスであることに気づいていた方がよいだろう。*1

*1:写真は「AMANO KAZAOTO 高画質館」