ゆく河の流れは

bon-naoto2006-11-30

「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。」と鴨長明が「方丈記」で書いている通り、川の水に触れることはできるが、同じ水に二度触れることはできない。また、だからといって「川」という存在がなくなることもない。


私が生きている間も、川の水と同じように、常に細胞は生まれ変わり、新たな「私」が瞬時に作り出されている。そして、同じ川の水に二度触れることができないように、同じ「私」が二度と存在することはない。また、だからといって「私」が他の誰かや何かに変わるわけでもなく、「私」はずっと存在し続けているのだ。


川の水を止めることはできないし、止まった水は既に川ではない。同じように、「私」が生きることを止めることもできないし、本当に止まったときは「私」が死ぬときだ。


過去の水の流れに触れることはできないように、過去の記憶の「私」は、本当の過去ではなく「いま」に生成された、「私」のひとつの姿にすぎない。もともと流れているものを無理やり止めようとすることは「自然の流れに逆らう」ということになる。*1

*1:写真は「toshi」の写真箱