予測不可能

bon-naoto2007-07-16

生物は自然の中で生きている以上、この世界は本来予測不可能なものだ。赤ん坊を見ていると、次にどんなことをするのか容易に予測できない。自然のままに生きている存在とはそういうものだろう。


大人になるにつれて、教育によって「この世界はこういうものだ」という情報が入ってくる。そして、世界のあり方とその中で生きていくルールというものを学んでいく。


これはとても大切なことである。この社会を維持していく為には、人類に共通したルールが必要なのだ。そのルールを教え、受け継ぐことによって、この社会は維持されているのである。既に社会の中核を担っている大人という存在がいなかったら、人類はこれまでの歩みを一からやりなおさねばならない。ここまでくるのに、また何万年という歳月がかかることになる。


しかし、「世界とはこういうものだ」という情報により、時にそれが、その人の見方を固定し、縛り付けてしまうことがある。それは便宜上、人間が後から考えた解釈にすぎないのに、あたかも初めから世界がそうであったかのように、思えてしまう。その解釈が便利であるあまりに、それを過大評価してしまい、それ以外の世界のあり方が考えられなくなってしまうのだ。そして、人は世界を理解し、予測ができるかのような勝手な幻想を抱いてしまうのである。


でも、自分がこうだと信じて疑わないように思える確かなことでも、よくよく考えてみると、結構疑わしいということはよくある。科学の理論だって、それが役に立つのは間違いないにしても、有用な範囲や限界というのは必ずある。


社会を円滑に運用するためのルールや、世界を解釈するための理論というのは、人間が考え出しだ「道具」なのだ。偉大な道具の発明者にはもちろん敬意を払いたいと思う。でも、道具はあくまでも道具であって、それが全てではない。それは、コンピュータや自動車や電化製品が、便利な道具ではあるが、それが世界の全てではないのと同じことだ。


自然現象というのは、予測不可能なものである。次に何が起こるのか、本当のことは分からないのだ。また、予測ができないからこそ、生きることに意味があるし、面白いものなのである。そうであるならば、この「根源的な不安定さ」というものを楽しんでみればいい。*1

*1:写真は「toshiの写真箱」