時間は未来から過去へと流れている

ドクター苫米地の新・福音書――禁断の自己改造プログラム

ドクター苫米地の新・福音書――禁断の自己改造プログラム


最近読んだこの本にとても素晴らしいことが書いてあった。普通、時間は過去から未来へと流れていると思われている。しかし、本当は未来から過去へと流れているのだ。よく考えてみれば、そうである。未来が川の上流で、過去が下流。未来が砂時計の上の部分で、現在がまさに砂が落ちているくびれの部分、過去が既に下にたまっている砂のイメージだろうか。この世界は未来からやってくるのである。


決して大袈裟ではなく、これによって世界を見る見方ががらっと変わってしまった。過去は経験としてあるが、それによって現在を縛りつけてしまうことはない。現在の自分は、過去の因果によって決定されているものではないのだ。現在は、過去の因果を超えて存在している。どんなに完璧に描かれたシナリオであろうとも、それを超える可能性は常に現在にある。


これは、ひらたく言うと「人生何が起こるかわからない」ということでもあり、「過去に何が起こったかなど関係ない」ということでもあり、「全然違う自分に自由になれる可能性がある」ということでもある。*1

*1:写真は「toshiの写真箱」