今変わることで

人間は、完璧な存在ではない。仏教的な考えでは、完璧な存在だったら、輪廻のサイクルを抜けているわけだから、そもそもこの世には生まれてこないだろう。


人は、生きていく中で様々な経験を積んでいくわけだが、長い間生きていれば、当然沢山の失敗もある。耐え切れないほどの苦痛や恥辱に見舞われることもあるだろう。未熟さ故の過ちは、歳を取るにつれてたまっていく。「叩けば埃が出る身」と言う言葉があるが、多かれ少なかれどんな人間でも、布団たたきでバンバン叩けば、いやというほど埃は出てくるものだ。


人間の価値は何だろうか。尊敬に値する人間と、そうでない人間を分けるものは何だろう。それは、「いかに失敗を少なく生きたか」ではなくて「いかに失敗から学び自らを改善したか」にあるのではないか。自分の無力さ、汚さ、ダメさにどうしようもなく打ちのめされた後で、それでも何とかしようと、何度自分を奮い起こして戦ったかにあるのではないか。無力であると十分過ぎるほど分かっていながら、それでも自分にできることを探し続けて進もうとすることにあるのではないか。


鍵は「今、ここ」にある。


「今」変わることで過去も変わるのである。もちろん過去に起こった事実は変えることはできない。しかし、過去の出来事に呪縛されている自分のあり方は確実に変化する。


社会的に有名になるとか、それも大事だが、全ての人が有名人になれるわけでもないし、なるのがいいとも思わない。大切なことはもっと微妙で、もっと身近で、もっと地味なものである。


普通だったら見過ごされてしまいそうな、小さな変化、それこそが大きな変化のきっかけだ。小さな自分を変えることが、大きな世界を変える第一歩となる。そんな変化に気づける自分でありたいし、そういう人を応援してあげられる自分でありたいとも思う。