独善を超える

太極拳なんかである程度できるようになってくると、自分に自信が生まれてくる。そこまではいいのだが、そこでちょっと勘違いすると「自信」が「慢心」に変わる危険がある。もうそれで分かったような気になってしまうのだ。


道場に行って、先輩からいろんな身体の使い方を教わるとまだまだ自分の知らない多くのことが沢山あるのに気づく。自分が「分かった」と思っていたものなど、ほんのちいさなものに過ぎなかったのだ。


なまじ中途半端に頭のいい人は、この罠に陥りがちになるような気がする。何でも器用に物事をこなせる人は、それ以上深いところ、高いところを追求しようとしなくなる。


「分かった」と思ったら、そんなものは直ちに捨てることだ。「分かった」ところで止まっているのは、限りなく残されている自分の成長の可能性に気づこうとしない、怠惰で鈍い感性を証明しているに過ぎない。常にそこから初心に帰れるかどうか。達人とは「いつでも初心に帰れる人」のことでははないか。