きくこと

「からだを感じる」ときの「感じる」は、「みること」よりも「きくこと」に近いと思う。


野口三千三の著書に「からだに貞く」、「おもさに貞く」という本がある。「聴く」や「聞く」の大本が「貞く」で、人間と神との関係を現しており、この言葉に全ての意味が含まれているという。


頭の中に余計な音が鳴っていると、心身が統一されない。特に、自分の中で延々とループする「言葉」がある。頭で考えられた思考の断片が、同じ頭の中でグルグル回る。誠に人間的であるとも言えるのだが、こうなるとどんどん自然のあり方から遠ざかってしまうことになる。


少し耳を澄ましてみれば、実に色んな音が周りで鳴っているのに気がつく。それは鳥のさえずりであったり、風が木の葉を巻き込んで吹く音であったり、となりにいる女性同士の会話であったりする。自分の頭の中で鳴っている「私の声」=思考は、そんないろんな音の世界をかき消してしまう。これは勿体ないことだ。


面白いもので、周りの音に耳を澄ませていけば、自分の心の中も澄んでくる。頭の中で余計な音が鳴っていては、世界にある音を感じられなくなるからだろう。


自分の身体も全く同じことである。身体はもっとも身近にある「世界」だ。そこでどんな音が鳴っているのか、何を発信しているのか、表現し、伝えようとしているのか。心を静め、耳を傾けることで何かが伝わってくるはずだ。