洗脳からの脱却

多かれ少なかれ、人は洗脳されている。自分が当然そうだ、100%間違いないと信じていることでさえも、よくよく考えてみれば、特に普遍的な根拠があるという訳ではなく、誰かの都合のいいように作られた情報だったりする。


自分の信じていたことが、嘘であったとか、間違いであったとか、それほど絶対なものではなかったと認めることは、これまでの自分の生き方や信条を否定することであるから、当然辛いものだ。でも、その辛さを経ることで、人は一歩成長することができる。それは、自分の手で新たなものの見方を獲得したということだからだ。


いろんなものの見方ができる、いろんな人の立場に立つということが、成長するということである。だからこそ、今の自分も疑っていかなければならない。自分を否定するのではなく、積極的に自分のあり方に対して常に問いを投げかけるのだ。そして、もはや不要である情報に気づいたらどんどん刷新して書き換えていけばよいのだ。