止めて見る=自分の都合

全ての存在は動いており、止まることがない。人も、社会も、周りの風景も皆変化してゆく。この世界は動画の世界だ。でも、その世界から静止画を切り取りたい時がある。過去の一点のままでずっと続いて欲しいと思ってしまうものがある。あの人はあのままであって欲しいとか、この出来事がこのままであって欲しいとか。


どこで動画を止め、静止画にするかが、その人の心そのものだ。何を変わって欲しくないと思っているか、それこそがその人なのだ。言葉を変えて言えば、それは、自分の「都合」ということになる。どうにでも切り取れる世界を、自分にとっていいように止めて見ている。だから人に自分の絵を強要すべきではない。


でも、この「都合」がなければ、人生に生きる意味はあるか。まったく、生きる事は味も素っ気もない営みになってしまうだろう。


自分が切り取った絵は、自分だけのものだ。そして、それはもはやこの世界には存在しない幻想であり、夢でもある。どうせ自分の都合なら、いい夢を見たいものではないか。