何にために戦うのか

まがりなりにも、武道をやっているとその目的について考えることがある。武道は、肉体を使っての実戦を想定して技を磨いていく。でも、現代の社会では、実際に街中で斬り合いが起きている訳ではない。全く知らない人から突然教われる様な物騒な事件がここのところ増えているから、それに備えて護身のトレーニングをしておくのは、悪いことではないが、でも、武道の価値は、日常生活の護身にのみあるのではないだろう。


つらつらと考えてみるに、武道の目的とは「自分にとって大事なものを護るため」ではなかろうかと思う。「自分にとって大事なもの」はそれこそ、その人ごとに全く異なるだろう。映画の様な「惚れた女を護るため」という人もいるかもしれないが、自分にはそんな台詞はとても言えない。


そんな大仰なものでなくとも、近くにいる人の明るい笑顔だったり、子供の歌声だったり、美味しい料理だったり、きれいな夕焼けだったり、お年寄りの元気だったりするかもしれない。


特に、耳を澄まさなければ聞こえないような、よーく見ていないと見失ってしまいそうな、小さなものこそ大事に護らなければいけないのだ。自分にとって大事なものなら、消え入りそうな弱いものこそ見逃さずに護らなければならない。


自動化された社会のしくみや権力への迎合は、感覚と生命力を鈍らせる。惰性に負けることなく、日々を新たに生きることだ。