善政

老荘だったか「最高の善政とは、人民がそんなものが行われているとすら気づかれないものである」といった言葉があった。


「名君」などと呼ばれて歴史に残る人は確かに立派だったのだろうが、後世に名は残らなくとも、ひたすら民の幸せを思い、尽くすことに一生を捧げた「影の名君」もいたに違いない。


名前にせよ、建築物にせよ、芸術作品にせよ「形に残るもの」だけが、重要なのではない。大事なのは、形に残すことだけではなく、思いを持って、志を持って、その生を生き切ったかどうかである。形に残る作品は、その志と結びついた時にのみ、真に人の心を打つ力を持つ。


いまここにこうして生きていられるのも、そうした「名も残らない名君」の仕事のおかげなのだろう。本当にありがたいことである。