真剣に脱力

「脱力法」や「脱力した身体づくり」というのが、今世間でははやっているようだ。確かに「脱力」とは大事なことである。目的とする運動を行うに際し、余計な力は抜けていればいるほどよい。しかし、あくまでも「目的とするのに必要とする以外の力を抜く」のであり、何でもかんでも脱力すればいいというものではないだろう。


このあたりは「脱力法」の危険なところというか、「何を目的としているのか」「何のための脱力なのか」というところをしっかりと認識していないと、「必要なところまで抜いてしまう」ということになる。結局「余計なところに力が入っている」のと「必要なところの力が抜けている」というのは、どちらも同じ様にいけないことのはずだ。


「身体の力を抜く」ことを本気にやるというのは、簡単なことで、なかなか出来ることではない。これまでの何十年の人生の中で身についたクセを直すことだからである。そこには根気と工夫と努力がやっぱり不可欠だ。結局脱力も本物をつかもうと思ったら、真剣にやるしかない。


太極拳でも「力が抜けている」のと「気が抜けている」のは、全く違うということだと教わった。力は抜いても、気は抜いてはならないのだ。