視点の転換

bon-naoto2005-11-10

解決が難しそうな難問に出会うことがある。一体全体どうなってしまうんだと、一切合財投げ出してしまいたくなる様なとき。いくら頭で考えても答えが出てきそうもないようなとき。


そんなとき、「自分が考え付かなかった意外なところ」から答えが見えてきたりする。ものの見方をがらっと変えて見ることにヒントが隠されているものである。


どうしても、人間は一つの方向から物事を見がちになる。それが進むと「偏見」となり、さらにエスカレートすれば、「人種差別」「迫害」になり、最終的には「戦争」へと突き進むことになる。自分と違ったものの見方を排除しようとしてしまうのである。これは、自分の心の中で、自分が受け容れられないものを排除しようとする姿勢に他ならない。


自分の心の中を覗くのは難しいことだが、現実に現れているものであれば、より分かりやすいから、排除の対象として見やすいのだろう。


「自分の見ている世界が当たり前の世界である」と誰もが思っている。しかし、これが皆同じものを見ているのであれば、世界でこれほど犯罪や戦争などは起こらないだろう。自分が見ている世界は単に「私が見ている世界」なのであって、普遍的なものではない。いや、そもそも「絶対に普遍的な世界」などおそらくは存在しないのだ。


しかし、だからといって「個々人が見ている世界に意味がない」ということではなく、むしろ逆で、その人が感じる世界は「その人だけ」のものであるが故に、まさにたった一回のものであるが故にこの上もなく貴重なものなのである。


「『自分が感じている世界』とは自分固有のものであり、全く別の視点で見た世界もいくらでもありうる」という風に考えれば、つまり、いくらでもいくつもの視点を持つことも出来ると考えれば、自分の世界と可能性が大きく広がっていくだろう*1

*1:写真は「toshiの写真箱」から