自分を鍛えていくこと

bon-naoto2005-11-11

自分を鍛えていくことは、素晴らしいことだと思う。ところで、この「自分を鍛える」というのは、どういうことか。なかなか一筋縄ではいかないだろう。そのために必要な条件というのが浮かび上がってきた。


1−自分の変化を信じている
「鍛えることによって自分が変わっていく」 今の自分を超えていくらでも人間はすごくなることができる、という「変化する自分」を信じることが出来る。「何やっても自分は変わらないよ」と思っている人は、自分を鍛えようとはしないものである。


2−あらゆる自分のあり方を認めている
自分の中には、働き者もいれば、怠け者もいる、頭のいい理性的な奴もいれば、人前でバカを演じる道化もいる。そんないろんなキャラクターが沢山いる自分の心をまとめて進んでいかなければならない。しかし、自分の中にいるどんなキャラクターも、それが必要とされる場面で役にたつのである。また、どんなキャラクターにも発言権はある。意外なキャラクターが役に立つかもしれない。どの場面でどのキャラクターに登場してもらうか、それを監督していくことはなかなか面白いものだと思う。


3−確固たる自分のものの見方を持っている
昔の偉い人の言葉を必死で覚えるのは「自分を鍛えること」ではない。それを元にして、自分の頭で必死に考えようとし、答えを探るのが「自分を鍛えること」である。誰かの真似をするのではなく(勿論手本となる人はいるだろうが)、最終的には「自分」で「自分」を鍛えていくのだ。人と比較するのではなく、今日の自分が昨日の自分を超えているかどうか。それを図るには自分の中にある尺度を信じるしかない。


4−気が長い
「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす」とは宮本武蔵の言葉だが、鍛練はそもそも時間のかかるものである。「万日」だからと30年はかかるよ、ということだろう。一生かかるものと腹をくくる。


とこんなことをつらつらと考えてみたのであった。これらは、必要な条件ということもあるだろうが、やっていく途中で自然と身についていくものでもあるだろう。


自分を鍛えながら一人で歩いていく道は面白いものだ。*1

*1:写真は「toshiの写真箱」から