入力と出力

希望のしくみ

希望のしくみ

「希望のしくみ」という本を読んだ。ヴィパサナ瞑想の大家であるアルボムッレ・スマナサーラさんと、脳科学者の養老孟司さんの対話。その中で養老さんが面白いことをおっしゃっていた。


人間の情報の入力(インプット)はいわゆる五感=視覚(光)、聴覚(音)、嗅覚(におい)、味覚(あじ)、触覚(物理的な力)を通して行われる。その情報を人間が処理して、外部に出力(アウトプット)する。すなわち、


入力(インプット)→処理→出力(アウトプット)


となる。人間のやっていることは結局これだけなのだが、入力は五感を通して、すなわち入ってくるルートが多岐にわたっているのに対して、出力はなんと「筋出力」しかないのである。人間が情報を出力するときって、筋肉を動かすことしかやっていないのだ。


身体のバランスが取れないということは、入れなくてもいい筋肉に力を入れすぎているということになる。余計なところに力を入れているということは、間違った出力をどんどん行っているということだ。目的とする運動に対し、必要なところだけ力が入り、逆に余計なところの力が抜けていると、出力として、すなわち情報の処理としては正しく行われているということになる。


それでは、「何に対して」情報を処理しているのかということだが、仮に「自分を取り巻く状況や環境に対して」ということで考えてみると、余計な力が抜けていることが、いかに周囲の状況や環境に適応するのに重要かということが分かる。もっと広げて考えてみると、力を抜くことが「生き方」の問題にもつながってくるだろう。


また、出力が正しいということは、入ってきた情報に対して正しく反応している。すなわち「対話」が成り立っているということになる。


今日の一句:脱力で世界と「対話」する