「大河にコップ一杯の水を流し続ける」

古伝空手の発想 身体で感じ、「身体脳」で生きる (光文社新書)

古伝空手の発想 身体で感じ、「身体脳」で生きる (光文社新書)

「古伝空手の発想」という本を最近読んだ。沖縄古伝空手・心道流師範の宇城憲治氏の言葉や、活動、体現した技など関して、弟子の小林氏がまとめたものである。


その中で一番感動したのが、宇城氏のこの一言であった。本は、全てがいい言葉で埋め尽くされている必要はない。たった一言「これだ!」というものがあれば、それだけでその一冊は読むに値する十分な価値を持つものとなる。


スポーツで常識とされている、パワーやスピードトレーニング等とは全く視点の異なる発想で、宇城氏は真理に迫っている。そして、昨日も書いたが、武術の目指す境地は、「戦わずして勝つ」という調和融合の世界である。その世界に、私もたいへん魅力を感じるのであった。およそ、人間が何かを目指して修練に励むとき、最終的な目標はそこに行き着くのではなかろうか。


宇城氏は言う。
「広めよう、という発想がどうしても先にあるのと違うかなあ。それはメディアの悪い癖だ。私は広めようという考え方はしない。深める、それだけ」「深めていけば、自然に間口は広くなっていくんだよ」


果たして自分にどこまで行けるのだろうか。それは、分からない。分からないが、この自分の身体と心で行けるところまで行ってみよう。


今日の一句は、宇城先生の言葉をそのまま引用します。



「大河にコップ一杯の水を流し続ける。必ず、清い水を求めて、下流から魚が上流にのぼってくる」