密度の濃い時空間を生きる

bon-naoto2005-11-27

本日の野口体操のテーマは「末端から土台の動き」。私は野口体操は「土台から末端の動き」しかないと思っていたので、これは意外であった。土台とは、根本は「地球の中心」のこと。そこから例えば、足裏→膝→腰→胴体→肩→腕→手とエネルギーを伝えていけば「土台から末端」ということになる。


「末端から土台」ということは、逆に手とか頭とかそういうところから動きが始まるということである。今日は頭からの動きをやってみたが、頭→首→背中→腰といった感じで動かしていく。確かに不自然な動きで動くのはたいへんである。


しかし、「動き」というものの全体像を考えてみると、「土台から末端」を基本としながら「末端から土台」も要素として含まれているとのこと。必ず「土台から末端」というわけではないそうだ。「小手先」というとマイナスのイメージだが、「手先」から作る動きというのも確かにある。


ところで野口体操も、太極拳も、ボディ・コーディネーションも、ヴィパサナ瞑想も、根本は近いものがあると思うのだが、頭の中をクリアにすると上手くいくし、また、やっていくにしたがって頭の余計な雑念がなくなってくる。ゴチャゴチャと余計なことを考えなくなってくるのである。23日のプレゼンス講座を受講してからは、自分の中を意識する感覚を以前よりも増して重視するようになった。


ただ、回数をこなせばよいというのではなく、瞬間瞬間にどれだけ密度の高い意識をもてるかどうかでよしあしが決まる。意識の密度を高くしていくと、自分がこれまで誤魔化してやっていたことが誤魔化せなくなってくる。つながりが途切れていたり、飛んでいたり、見かけだけの姿勢で誤魔化したりすることが許せなくなってくるのだ。


勿論、これは、最終的に本当に本人の主観の世界でしかない。自分の評価は、人から点数をつけてもらうのではなく、自分で行わなければならない。自分に聞いてみて嘘や誤魔化しがないかどうかである。いい動きができたかどうかは。何よりも自分の身体が一番よく知っている。人から高い点数を貰えば嬉しいものであるが、しかし、審査員に受けるようなことをやれば点数が上がるのだし、それで、「出来た」と慢心したら進歩が止まってしまう。


本当の進歩とは、結局のところ、「自分自身に問うてみて、自分の本心で納得できるか」というところなのではなかろうか。


そして、人の一生も「どれだけ長く生きたか」ではなく「どれだけ密度の濃い時空間を生きたか」ということだと思う。


この「意識の密度の濃さ」というところが、身体と精神の、そして、身体運動(=動き方)と人生(=生き方)の接点となるように思う。*1


今日の一句:誤魔化しのない「今」に思いを込める

*1:写真は「toshiの写真箱」