何の役にも立たないこと

bon-naoto2005-12-09

自分の身体を感じてみるとか、呼吸を感じてみる、歩行を感じてみるといったことは、一見何の役にも立たないように思える。


しかし、「役に立つこと」って改めて考えてみると、定義することは難しいものだ。一体何が「役に立つもの」で、何が「役に立たないこと」なのか。


「お金に結びつく」というのは、一つの指標かもしれない。他に「出世する」とか「社会的地位を手に入れる」、「有名になる」といったことだろうか。これらはハッキリと目に見える目標だから分かりやすい。


これはこれで一つの軸として間違いなくあるのだろうが、でも「これが全て」だと思っていると、苦しくなってしまうだろう。この目的に役に立たないからといって、不要に思えるものをバッサリ切り捨ててしまうのはいかがなものだろうか。ものの見方も狭くなってしまう。


一見何の役にも立たないように見える「自分の状態を感じてみる作業」が自分がこの世界に存在する基盤を作り出している。この世界と自分はいかに関わっているのかを感じることで、生きている安心感が生み出される。現実の世界で処理できる情報の量も増す。


お金を稼ぐのも、社会で活躍するのも、自分がこの世界と関わる確固たる基盤の上に成立するものだ。見えないところで自分を支えている自分の身体を改めて感じてみることで、新たに見えてくるものがきっとあるだろう。*1


今日の一句:一見、役に立たないものにこそ、大事なものがある

*1:写真は「toshiの写真箱」