強くて優しい男

bon-naoto2005-12-29

これまで「男はかくあるべし」みたいなことは、あまり考えてこなかった。とはいえ、じゃあ女っぽく振舞おうとしたか、というとそうではないのだが(私は男性です)。


「男だから、男っぽく振舞おう」とは別に思わず、自然に考えて、振舞えばそれで、いいと思っていた。「男らしく」よりも「自分らしく」ということであったのだろうか。


でも、最近になって改めて思うのは、「強くて優しい男」になりたい、ということである。やっぱり「強さ」と「優しさ」は両方兼ね備えないと、本当の男とはいえないのだ。


人間、年をとっていろんな経験を積んでくると、性別に限らず、「男性性」も「女性性」も兼ね備えた「中性」に近づいてくるものだと思う。「男性性」も「女性性」もいいところもあれば、悪いところもある。それぞれのよさを兼ね備えた「中性」というのが、人格としては、一番成熟しているということになるのだろうか。


さて、そう思ってはみても最近意識しているのは「男」なのだ(別に「男色」とかそういう意味ではありません)。


子供番組のヒーローは、自らの生命をかえりみず、人々の暮らしや、愛する人たちを守るため、悪と戦う。これが「男」の原点だろう。大昔だって、家族の食料を手に入れるために、男たちはマンモスと戦ってきたのである。


別に相手がマンモスでなくて、農業や漁業だって、予測のつかない、得体の知れない巨大な大自然を相手に、戦いが繰り広げられていたことだろう。


仕事は何でもいいのだが、大切なことは、「生命をかけて本気で戦う」ということだ。でも、そう考えると、これは性別に関係なく女性でも一緒だなあ。


では、「何のために戦うのか」と改めて考えてみると、自分の答えとしては、「真実を追究するため、そして追求したものを守りぬくため」である。


世間体を気にし、人にどう思われるかばかりを気にし、自分が本当にどう思っているのか心の中を見つめ、そしてそれを表明する努力を怠ってきていた。人と真剣に相対することを避けてきていたのだ。いつの間にか、マニュアル的な会話で、その場を持たせる技術ばかり身につけていた。


知らず知らずのうちに、多数派に組みすることを覚えてきた。「こっちについたら自分が害を受けないし、得だ」みたいな考えが自分の中に深く染み付いてしまっていたのだ。勿論、問題なのは「多数」か「少数」かということではなく「自分にとっての真実とは何か」ということだ。そのことが、自分の中で明確に分かっていれば「多数」か「少数」かは問題ではなくなる。


どこかの偉い先生が言ったことであれば、疑いもせずに信じ込み。自分で検証してみようともしない。自分自身の感覚のチャンネルを閉じ、思考を停止させてしまい、外部から来た情報にただただ従っているだけ・・・・・・


いま、このことに気づいたところで、そう、これから始めるのだ。新たに一歩前に進むこと。自分自身の感覚を信じ、自分の身体の奥に聴いて答えを出す。この一瞬に自分の全感覚を開いて生きていくこと。*1


今日の一句:真実を見据えるために、感覚を全開に

*1:写真は「toshiの写真箱」