身体との対話は自然との対話

bon-naoto2006-01-06

改めて考えてみると、人間は動物である。その意味でその存在自体が、自然のものなのである。確かに「動物」と「人間」に一線を画する考え方もあり、それはそれで意味のあることなのであろうが、根本的には人間がこの地球上に存在するために「生物としての存在」というのがベースとなっている。


身体と対話をすることは、自然と対話をすることだ。身体の声を聴くことは、自然の声に耳を傾けることと本来全く同じことだろう。


むやみな環境破壊というのは、やっぱり自分の対話が出来ていないことからくるのではないだろうか。


「生きるために他の生物を殺す」というのは、自然界の掟であって、他の生物でも皆やっていることである。「弱肉強食」というのは、別に残酷なものでも何でもなく、ただ自然のルールとして当たり前にそうなっているというだけのことである。


しかし、動物は、必要以上に他の動物を殺すことはない。勿論全ての事例を知っているわけではないので、例外もあるかもしれない。でも、自らの生存のために必要以上のエネルギーを使うことは、すごく少ないだろう。自分が生きるために、どれだけ他の生物に餌になって犠牲になってもらうか、動物はちゃんとわきまえている。


人間が他の動物と明らかに違うのはここで、人間は、自らの生存のためという当初の目的をはるかに超えて、他の動物を殺したり、環境を破壊したりすることができる。自らの生活環境を拡大するために生態系を破壊することもできる。


仏教では「全ての生命のあるものを大事にする」という教えがあるが、そもそも動物である自分の身体の声をしっかりと聴けていれば、おのずと他の生命ある存在も大事に思えてくるのではないか。


自分の「痛み」だの「苦しみ」だのといったものが、どういうものなのかしっかりと自分で分かっていれば、他の存在もむやみに痛めつけたくはなくなるものだろう。根本は「他者が痛い」ということは「自分も痛い」ということだ。*1

*1:写真は「toshiの写真箱」