実感が力となる

bon-naoto2006-01-07

自分で実感したことというのが、最終的に自分の力となる。というか、実感したもの以外は、力とならない。本で読んだものでも、自分で実感しなければ本当に使える知識とはならないのだ。


受験勉強などは、苦しいことに負けない力とか、持久力とか、自制心とか確かにある種の能力は鍛えられるのだろうが、でも、自分で実感しないこと、できないことを無理に覚えて、それがどのくらいできるかが評価基準になるというのは、いかがなものだろうか。


物事の判断基準の元となるものは、誰かが言った言葉ではなく、自分の実感である。「自分が何を感じているか」ということを的確につかむことができれば、物事を判断するのがより正確になっていく。これは、絶えず自分との対話(言語であれ、非言語であれ)を必要とするなかなかしんどい作業である。でも、これは避けて通ることはできないだろう。


この作業を省くと、「あの偉い先生がこう言っているから」とか「なんとなくみんながそう言っているから」とか、周りに流されてしまうことになる。強い権威の言うことに洗脳されやすくなる。


ボディ・コーディネーションの坂本先生から教わったが、どんな時でも、自分自身の“今”の“身体の感覚”を感じながら、「私は、“今”、○○と感じています」と問いかけてみる。この言葉はどんなときでも使える魔法の言葉だそうだ。


今、自分がどんな風に感じているのか。