身体を細かく分ける

bon-naoto2006-01-08

本日は、野口体操日曜教室の本年最初のレッスン。


「独楽に貞く」ということで、まずいろいろな独楽で遊ぶ。独楽は、驚くほど様々な種類のものがある(参考にどうぞ→独楽の百科事典)。


そのあとは、独楽のように、中心軸をとって身体各部を回していく動き。仲間で練習するよさは、自分で気づかないところや、忘れていたところを改めて気づかせてくれることだ。自分一人でやっていると、自分のクセが出てきたり、やりやすい方向にばかり流れたりということがどうしても出てくる。


今日改めて実感したのは「身体の細分化」ということであった。身体をゆるめ、また、きめ細かく分けていく。細かく分かれていればいるほど多くの情報を処理することが出来るのだ。


もともと、骨や内臓、筋肉というのは、各々が役割を持っており、それがために、分化しているのだが、骨と筋肉は共に身体を支える役目をしているために、ついつい同一のものとして見てしまいがちだ。しかし本来は、


骨=身体を支持する
筋肉=運動において力を生み出す原動力となる


とハッキリ役目は分かれているのだ。筋肉も、肋骨とか背骨周りとか骨盤の下とかに小さな筋肉群というものがあり、これらもちゃんと役割を持っている。


自分の身体の中がどうなっているのか、どういう動きをしているのか、細かく見ていくことが、自分の「今」を知る上で大切なことだ。自分の身体は、最もリアルな「現実」そのものである。


因みに野口体操では、筋肉はあくまでも「運動をコントロールする」ためのもので、筋肉自体が主導的に力を使って動く動きはよくないとされている。それでは、動きは何で作るのかというと「重さ」で作っていくのである。


自分の「重さ」を利用し生み出される動き、すなわち重力を利用して落下する力と、同時にその力に対して床を通して反発する力、これを使いながら動きを生み出していく。重力は人間の意思に関わらずいつでも働いているから、これを利用すれば、人間の方は余計な力を使わないですむ。


上達すれば、あたかも全く力を自分で使っていないかのような感覚の動きもできることだろう。重力を完全に見方にできれば、そのときは本当に「自然と一体」ということになる。その時を夢見て。*1

*1:写真は「toshiの写真箱」