好奇心を持つ

bon-naoto2006-01-20

野口体操の野口三千三先生がおっしゃっていたことに、「自分の身体を実験台として」という言葉がある。


「身体を実験台にして」とは、自分の身体に好奇心を持って取り組むことだと思う。ああ、自分の身体ってこんな風に動くんだなとか、こんなところが固まっているなとか、こことここがつながっているんだなとか、好奇心を持ちながら、自分の身体と対話を繰り返していくことだ。


実験だから、答えが分かっている訳ではない。結果がどうなるか分からない、未知の部分を探求する面白さがある。本来は、一件何の変哲もない一つの動作にも新たな発見はいくらでもあるだろう。


対話のない、単なる形だけの動きはやっていて面白くない。たとえ、偉い先生が「この運動は優れているものだから、やりなさい」と言っていたとしても、自分の好奇心を介在させないただの動きというのは、何かが足りない感じがする。大事なことはマニュアルではないのだ。


動きそのものも大事なのだろうが、もっと大事なのは、動きを行っているときの意識のあり方である。マニュアルとは、手抜きを覚える装置のことでもあり、また、一回一回の新鮮な気持ちを失わせるものでもある。ただ単にその形を繰り返せばよいという気持ちでやるのでは、徒に時間を費やすのみでたいした進歩はないだろう。


決まっている動きをやるのでも、それをやるときの意識の持ち方によって、内容は何倍にも異なってくる。今、自分は何を感じているだろうか。*1

*1:写真は「toshiの写真箱」