「いま」が連続している

bon-naoto2006-03-15

「いま」を感じることは、そのままその連続性をずーっと追っていくことだ。「これが『いま』だ」と思った瞬間に、それはもう過去のものとなってしまい「いま」ではなくなってしまう。


ある特定のイメージにずっと執着し続けているとそこから動けなくなってしまう。時間が流れなくなり、そこで止まってしまう。概念が逆に心を支配するようになってしまうのだ。もともと、概念とは人間がものを考える際に分かりやすくするための道具、「方便」であったはずなのに。あたかもそちらが本質であるかのような気がしてしまう。


「いまを生きる」というとなんだかカッコいい響きがする。しかし、その「いま」とは果たして何だろう? そんなものが果たしてあるのかというと、どうか。


「これが『いま』である」という決まりきったものではない。ただただ、ずっーとひたすらに流れていく、流転しているという状態そのもの。「万物は流転する」と言った人がいたが、運動することそのものがあらゆる自然現象の本質なのだろう。


そして、「いま」と自分の身体の感覚、実感とは分かちがたく結びついている。感覚に戻ることによって、余計な概念に振り回されることもなくなるのだ。*1

*1:写真は「toshiの写真箱」