出会った人たち

bon-naoto2006-05-06

人間の心は、はじめは全くの白紙状態であるが、そこにいろんなものが書き込まれることによって、心というものが次第に出来上がっていく。


赤ん坊は、外にある世界に「意味」を感じてはいない。単に光や音、温度などの「刺激」を感じ取っているだけである。


赤ん坊の目は、初めは見えずに成長してくるにつれて次第に見えてくるというのではなく、初めから光の刺激は入っているらしい。でも、外界にあるものに「意味」を感じられないから、見えていないように見えるのだそうだ。


成長するにつれて、次第に世界の「区別」というものがついてくる。これは、お父さんで、お母さんで、テーブルがあって、窓があって、光が差し込んでいて・・・・・・などなど。


人間の心は、結局外界からのものを写し取ることによって成長するのだ。だから、周りにどんな人がいたかということは、今の自分の心を形成する非常に重要な要素となる。


周りにいた人の姿(視覚)だけではなく、声(聴覚)、におい(嗅覚)など五感を通して入ってくる感覚的な情報、それからそれらが総合された「その人の雰囲気」のようなもの、またその人の行動パターンや、ものの考え方など、全部入ってくることになる。


今の自分が、「絶対にこれはこうだ」と信じて疑わないことでも、実は結構自分の周りの人が考えていたことのコピーだったりするものだ。「周りにこういう考え方をする人がいた」というだけのことで、実はその考えは、その人たちだけのローカルな考えだったりすることがある。


子供にとっては、「世界」というものは、途方もなく巨大なものだし、親や先生は、尊敬すべき万能の神様の様に見える。でも、自分が大人になった今では、自分と同じ唯の人間だったということもまた分かる。


自分の周りにどんな人がいたかを振り返ってみれば、今の自分がどうしてこういう考え方をしているのかが見えてくるだろう。