死体から学ぶ
フッとヨガに「死体のポーズ」というものがあったことを思い出した。ちょっとおどろおどろしい名前だが、ポーズそのものは、床に仰向けで横たわり、身体を休めるもの。他のポーズを行った後でくつろぐために使われる。
たしか「やすらぎのポーズ」と呼ばれることもあるようだが。「死体」の方がより本質をついているように思える。
「死体」は自分の意思がなく、地球上に単なるモノとして存在しているにすぎない。そうすると、地球上の物理法則にそのまま従う存在ということだ。ということは、逆に考えてみると、人間が生きていることで発生している「主体的な意思」が自然のままの動きを妨げているということになる。
だが、残念なことに「死体」は、地球上の物理法則に逆らわない理想的な存在でありながらも、既に死んでしまっているので、自らの意思で活動することができない。当たり前である。
「死体」のエッセンスとは、身体の活動がオフになっているということ。「死体」はオフになりっぱなしで、もはやオンになることがない。普通に生きている人間は、オンになっているが、オフでいいところまで、余計にオンにしてしまっているのだ。オフにしていいのか、オンにしていいのか分からないまま生きているというのが、人間の姿ではないか。
これは、身体のことだけではなく、人間のあらゆることに言える。休みを取るべきところを頑張りすぎたり、必要以上に思いつめすぎたり、人のことをコントロールしすぎたり、人のやることが許せないで干渉しすぎたりと、いくらでもある。
ちょっと話がそれたが、どうするか。理屈で考えても、「不必要なところはできるだけオフにし、必要なところのみをオンにする」というのがベスト。結局そのためには、身体全体がつながって、身体各部の関係性を感じていく方向性ということになる。他者との関係についても同じように、「つなげて感じてみる」ことが基本になるだろう。*1
*1:写真は「AMANO KAZAOTO 高画質館」