体験のカベを超えて

bon-naoto2006-09-21

「自分でやってみて、体験しなければ何事も分からない」というのは、やはり真実だと思う。自分の実感とは、その人だけのものだし、体験もその人にとって一回きりのもの。だからこそ、貴重だともいえる。


親と子供、先生と生徒、上司と部下、軋轢がうまれ「あの人一体何考えているんだろう」と思う場面が多いような関係も、その人の立場にたってはじめて見えてくるものもあるのだろう。


でも、人間の一生なんてたかが知れているから、全ての人の人生や立場を体験することなんてできない。


そこで、想像力が必要になる。自分が要求していることは、相手にどのくらい負担を与えているのか、自分が言ったことが、相手にどのような影響を与えているのか、あの人はいま、どんな感覚を味わっているんだろう・・・・・・それは、自分の感覚を使って想像していくしかない。


相手の感覚と自分の感覚が完全に一致することはないだろう。マトリックスのように脳に電極を差し込んで、プログラムできれば話は別だろうが。


でも、それに近づくことはできる。多くの人の立場や思い、実感を自分の感覚を頼りに自分の中で再現しようとすることはできる。自分が直接体験しないことでも、何とか自分の実感を元にそれに近づこうとする作業、それは大切なことだと思う。そこに「共感」と「対話」が生まれる可能性があるからだ。*1

*1:写真は「AMANO KAZAOTO 高画質館」