やかんから実感

沸騰したやかんに誰も触ろうとは思わない。ホンのちょっと触れただけでも、手がやけどし、激痛が走るだろう。人間にはとても耐え難い痛みだ。


核兵器が実際に使用されたら、それこそ、沸騰したやかんに触ることの何十億倍かそれ以上もの世界がこの世に出現することになる。直径数キロの世界が灼熱の世界、まさにこの世の地獄となるだろう。


それは、決してこの世界とかけ離れたことではなく、実際にしかもこの日本で現実に起こったことだし、しかもこれからも起こりうる可能性は十分にあることなのだ。


自分の実感、特に日常生活とかけ離れたことは、なかなか想像はできない。みんな「自分だけは事故にあわない」「自分だけは地震で死なない」と思っている。でも、事故でも地震でも死んでしまう人は、一定数は必ずいるのである。日本でかつて起こったことも、それを直接体験した人の数が減っていくにつれ、そのリアリティが薄れていく。


逆に日常的なありふれたこと、自分で実感できることは、容易にどうなるかが予測可能となる。平和を論ずる時、高尚な理念を用いて議論をする前に、沸騰したやかんに触ってからやってみてはどうか。


「痛み」を感じる。また、その「痛み」を同じように人に自分が与えるかもしれない。自分と同じように「痛み」を感じている人がいるのだ。果たしてその覚悟が自分にあるか。沸騰したやかんのお湯を人にぶっかけるだけの覚悟が自分にあるのか。そしてそれは一体何のためか。本当にやる価値はあるのか・・・・・・