恐怖感

bon-naoto2007-05-01

恐怖感は人間の自己防衛のためにある感情だ。自分の身に危険が迫るのを回避するための信号である。アドレナリンが放出されて、筋肉が緊張し、呼吸や心拍も速くなる。


人間は、太古から多くの危険にさらされてきた、気象の変化や地殻変動をはじめ、野生動物にも脅かされてきたに違いない。恐怖感はそのときから人間をずっと守り続けてきた。人間が生物である以上、恐怖感がなくなることはないだろう。


恐怖を積極的に好きという人はいないだろう。恐怖感が「嫌な感じ」を伴うのは、「一刻もはやくそこから逃げ出すなり、戦うなり、叫ぶなり、何らかの行動をしなさい」というサインだからだろう。もし、恐怖感が心地よかったら、そのままそれに浸ってしまって、何の行動もしなくなり、危険信号の意味がなくなってしまう。


では、人間はどのように恐怖とつきあっていけばよいのか。恐怖を感じないのが立派なのではなく、感じるべきときに適切に恐怖を感じ、それをしっかりと理解することだろう。自己防衛反応としての恐怖感は必要なものだが、さりとて必要のないことにまで怯える必要もない。「自分は何を恐れているのだろう」と改めて自分に問うてみるのがよい。現代人にとって恐怖の対象には、天気や動物といった自然の具体物だけではなく、もっと抽象的なものも含まれる。自分の心を乱しているものは、果たして何か?


自分の中に湧き上がってくる感情を冷静に見つめてみるのだ。*1

*1:写真は「AMANO KAZAOTO 高画質館」