無条件

bon-naoto2007-05-19

これまで、「生きること」とは、社会の制度に乗っかって生きることだと思っていた。世の中の価値基準に自分を合わせていくことだと思っていた。大学受験の時や、就職先をどうするか決める時など、如何に自分が世の中で認められている価値と折り合いをつけていくのか、ということが考えの中心だったような気がする。


しかし、改めて考えてみれば、世の中の価値基準といっても、今の日本の社会の状況を根底とした、相対的なものに過ぎない。今の世の中のしくみだって、高々何百年くらいの歴史の中のできごとでしかない。人類の数百万年の歴史、生命の四十億年の歴史の方が遥かに長いのである。


「生きる」ということに条件はない。また、順位や序列もない。こうしたから成功とかこうしたから失敗ということもない。世の中のルールに従って成功すればそれはそれでよいが、上手くいかなかったからといって、それが、一体何だろう。人間が生きているという偉大な事実に比べれば、全然たいしたことないではないか。


社会的な地位やステータスというものは、確かにある。しかし、それは絶対的なものではなく、相対的なものであり、いわば「ウソ」である。「ウソ」とは、別に悪い意味で言っているのではなく、所詮相対的なものでしかないのに、絶対的なものであると、みんなどこかで信じ込まされている。そのあり方が「ウソ」なのだ。


誰もが夢見るスターやヒーロー、カリスマ、リーダーなど、それを目標に自分が頑張るのはよい。でも、それが絶対的な価値観であると信じ込んだときから悲劇が始まる。もともと何もないものに一生懸命にしがみつこうとするのだ。


「浮き世」というのは、誠に的を射た言葉だと思う。そもそもこの世界は何もない、儚い、無常の世界である。しかしそうだといって希望を失うこともない。むしろ、そんな世界だとハッキリ知ることで人間は自由になれる。何もない世界だからこそ、何でもやってみればいい。何でもやることができるのだ。*1

*1:写真は「AMANO KAZAOTO 高画質館」