原初の情報処理

bon-naoto2007-06-17

本日の野口体操教室のテーマは「原初生命体の発想」。その中の「非意識主体説」を中心に行う。


40億年前に生命が初めて発生したとき、最初に行った仕事は、外界と内界との間に膜をつくることだった。その膜を通して、外界からの情報を内界に取り入れ、また内界の不要な情報を外界に排出していた。それが、最も初めの生命の情報処理である。


作られた膜は、内と外とを遮断して完全に分け隔ててしまうようなものではなく、選択された情報の出入りが、常に行われていた。決して固定的なものではなく、出入りを繰り返しながら、自己の同一性を保つという、融通無碍な存在であった。


これは、そのまま「呼吸」のあり方にも通ずる。「生命」と「非生命」を分けるものの決定的な違いは「呼吸」の有無にあるといってもよい。自分にとって必要なものを取り入れ、不要なものを排出する。生命が40億年前から行っていることは結局これしかないのだ。


これは、現代の人間の情報処理にもそのまま当てはまる。人間は高度に発達した脳を持っているが、その土台を形成しているのは、個々の細胞の情報処理にある。人間の細胞は60兆個あるが、個々の細胞のやっていることは、40億年前に発生した生命のものと根本的な違いはない。自己の生存のために必要なものを取り入れ、不要なものを排出する、というただそれだけである。


進化の過程で、生命は眼や耳、舌などの感覚器官を手に入れた。そして、高度な生命、特に人間は脳を発達、進化させることによって情報処理能力を飛躍的に高めた。これらの器官が発達してきたのも、生命が自己の生存に有利になるように自らを変化させてきた結果である。


しかし、高度な器官を持っているからといって、細胞一個一個の情報処理能力が必要でない訳ではない。個々の感覚器官は、外界の情報を取り入れるという目的のために、専門的に特化する必要性に応じて発達してきたものであるが、そのベースとなっているものは、細胞一個一個の「原初の情報処理」なのだ。ものすごい知性をそもそも細胞一個が持っている。


今の自分のやっていることも、その根本は40億年前となんら変わりはない。その最も根本となる力の存在に気がつけば、人間の可能性は大きく広がっていくだろう。そのために、丁寧に「身体の声を聴く」ことが肝要なのだ。*1

*1:写真は「toshiの写真箱」