後世への最大遺物

後世への最大遺物・デンマルク国の話 (岩波文庫)

後世への最大遺物・デンマルク国の話 (岩波文庫)


15年くらい前に読んで非常に感銘を受けた、明治の思想家、内村鑑三のこの本を再度紐解きたくなり、久々に読んでみた。この本の存在もしばらくは忘れていたが、いまの自分の何かがこの本に再度向かわせたのだろう。



我々は後世に何を残していけるのか。この素晴らしい地球に生きた証として、また、世界を愛した証として何かを残したい。でも、それは一体何だろう、というのがこの本のテーマである。



ここで、内村は「金」、「事業」、「思想」と例を挙げて、それぞれの分野で偉大な仕事を成し遂げた人々について解説していく。



しかし、これらは誰にでもできるものではない。「金」も「事業」も「思想」も運もあり、才覚に恵まれた人には可能かもしれないが、全ての人にとっての「最大の遺物」ではない。では最大の遺物とは何か。



内村は「偉大なる生涯」こそが後世への最大の遺物であると説く。



「たびたびこういうような考えは起こりませぬか。もし私に家族の関係がなかったならば私にも大事業ができたであろう、あるいはもし私に金があって大学を卒業し欧米へ行って知識を磨いてきたならば私にも大事業ができたであろう、もし私に良い友人があったならば大事業ができたであろう、こういう考えは人々に実際起こる考えであります。しかれども種々の不幸に打ち勝つことによって大事業というものができる、それが大事業であります。それゆえにわれわれがこの考えをもってみますと、われわれに邪魔のあるのはもっとも愉快なことであります。邪魔があればあるほどわれわれの事業ができる。勇ましい生涯と事業を後世に残すことができる。とにかく反対があればあるほど面白い。われわれに友達がない、われわれに金がない、われわれに学問がないというのが面白い。・・・・・・」



一番大事なものは、結果としての形ではなく、「生き方」そのものだ。大金持ちにはなれないかもしれないし、大事業は起こせないかもしれない、思想も残せるような文才もないかもしれないが、でも、自分のおかれた状況で自分を高める努力をすることは誰にでもできる。それは、必ずしも形に残るものではないかもしれない。でも、その最も地味な見えない努力こそが、後に続く人たちに残せる最高のプレゼントなのだ。



そして、今生きているこの瞬間にも、過去に自分を高めようと努力し、偉大な生涯を送った多くの無名の人々の贈り物がいたるところにある。そのつながりを思いながら生きていくことは素晴らしいことだ。ありがとう。*1

*1:写真は「toshiの写真箱」