空気

「統一されている状態」とも言うべき身体のあり方がある。全身が澄み切っていて、一部から発生した動きが、身体の端まで伝わっていくような感覚。また、身体を「感じて」いながら同時に「見ている」ような感覚。全身にムラや滞りがなく、透明になっている感覚。時間がゆっくりと流れているように思える感覚。そしてそういう状態のときは、心も透明で透き通っているのだ。


いわゆる悟りの状態は「空」であると言われる。「空」は「あき」、「からっぽ」であると同時に「空気」の空でもある。透明な空気は、周りのもの全てを包み込んでいる。


「空気」は生きることに不可欠なものであるとは、誰でも知っているが、その存在の本当のありがたみがかみしめられることは殆どない。風が吹けば、気流は感じられる。動くことで、肌に触れる空気を感じることはできる。しかし、空気の存在そのものは殆ど顧みられることがない。


しかし、面白いことに、空気をイメージすることで、動きも確実に変化する。軽く透明で、天地を吹き抜ける。時にやさしく、時に激しく。


空気に学び、空気と共に遊べるとしたら素晴らしいことだ。