死ぬべき存在
- 作者: マルティンハイデッガー,Martin Heidegger,細谷貞雄
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1994/06/01
- メディア: 文庫
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ハイデガー「存在と時間」を読んでおり、現在下巻のはじめ。難解な書物だが、自分に出来る限りで解釈しようと努めている。
生命を持った生き物であれば、どんな存在であっても、必ず経験しなければならないことが二つある。「誕生」と「死」だ。
人間も生命を持った存在であるから、この二つは必ず経験することになる。
生きている自分は既に存在している訳であるから、当然、誕生の方は経験している。とすると、どんな人間であっても、必ず経験しなければならないことは唯一つ「死」のみということになる。
そして、このことを殆どの人間が忘れている。そして、病気とか不慮の事故とか、自分の存在が危機に瀕したときや、死を目前にしたときにはじめて、自らの生命が有限であることに気づくのが殆どではなかろうか。
人間は生きている限り、死のことを忘れよう忘れようとする習性があるようだ。死は忌み嫌われるべき「悪」であると。
しかし、全ての生き物が体験しなければならない死は、善悪という一元的な価値観でおさまるものではない。むしろ、価値判断を超えた存在であると考えるべきだろう。そもそも価値判断を行うという行為自体、「生きていることが前提」となっている。死は事実として厳然と存在しており、それは、原理上価値判断を超えたものなのだ。
全ての存在は「死ぬべき存在」である。そして、それは当然自分にも当てはまる。厳然と。私はいつか「必ず」死ぬ。
別に「死ぬべき存在」であることを自覚したからといって、自分の生命をいたずらに損なうつもりはない。むしろ、積極的に「死ぬべき存在」をであることを自覚し、それと共に生きることが、生命を輝かせることになると思う。
常に死と共にあるのが、本当に生きることであると。