生命の智恵

思考は人間が作り出した道具である。 自分が、今まさに生きているという生命の営み。これがあるからこそ、思考もできる。生命の営みの上に思考や感情やその他の生命活動が存在する。これは、人間が作り出したどんな智恵をも超えるもののように思える。 頭で…

痛みと気づき

痛みは気づきのために存在する。身体の痛みはそこに無理な負担がかかっていることを教えるため。 では、心の痛みは何の為にあるのか? それは、「自分がどういう存在なのか?」を知る手がかりとしてだ。 心が痛んだり、良心の咎を感じるとき、自分の存在の核…

人を傷つけること

自分を傷つけることは、人を傷つけること。 人を傷つけることは、自分を傷つけること。 だって、自分も他人も同じ人間なのだから。 むやみに人を傷つけるのが、罪なことである様に、むやみに自分を傷つけることも同様に罪なのだ。 また、人の可能性の発揮を…

死ぬべき存在

存在と時間〈下〉 (ちくま学芸文庫)作者: マルティンハイデッガー,Martin Heidegger,細谷貞雄出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 1994/06/01メディア: 文庫購入: 7人 クリック: 26回この商品を含むブログ (46件) を見るハイデガー「存在と時間」を読んでおり…

行雲流水

[rakuten:book:13172914:detail] 脳科学者、茂木健一郎氏と禅僧、南直哉氏の対談。淡々とではあるが、真摯に真理を求める両者の熱気が伝わってくる対談だった。 「行雲流水」とは、禅の言葉で、行く雲、流れる水の様に自由なあり方のこと。 自由に人は憧れる…

好き嫌いの前に

好き嫌いの感情は誰にでもあるが、その前にその感情を見つめ、認めてみること。 そうすれば、自分の心を倍に広げることができる。

大らかな心で

大らかな心でなければ、力を抜くこともできない。小さな心で身体だけ脱力しようとしても無理なのだ。心を大きく持って、自らの存在をゆだね切る。そうして初めて見えてくる身体の使い方がある。

人、皆我が師

全ての人が私の姿を写す鏡であり、それ故に我が師匠である。 全ての人は仏の子。その仏が時には難敵として、試練を与えるものとして現れる。

天才

「私は天才ではありません。ただ、人よりも一つのことに長く関わってきただけです。」(アインシュタイン) それをこそ天才という。

その人がどんな人間か、どんな性格か。何を大事にしてきて、どんな生き方をしてきたのか。 その顔に全て出ているよ。

見えるか?

多くの人たちが笑顔で、 過去の過ちを水に流し、 お互いに語り合い、理解し合い、助け合い、つながり合い、良いところを認め合い、 仲良く集っている姿が。 その為にお前に何が出来るんだ? それを願えないとしたら、 今のお前の「夢」や「情熱」や「努力」…

何のための武術か?

人の心が分からないならば、人のことを思えないならば、人の幸せを祈れないならば、一体何の為の武術であるのか? 例えどんなに美しい技であったとしても、どんなに巧みな動きであったとしても、それでは何の意味もない。 そもそも人間は何で生きている? 人…

全身の細胞で動く

細胞は身体を構成する基本となる単位である。原始的な生命は単細胞である。もともと、細胞一個が生物であり、人間の身体は、その生物が60兆集まって構成されている。 細胞ひとつひとつが、自分が何をなすべきなのかを正確に把握し、その情報を全身の他の細胞…

流れを読む

合気柔術のトレーニングは、相手の情報を読み取り、それに対してリアルタイムに適切な対応をすることである。情報は力の入れ具合であったり、「気」であったりする。押さえられているところの力や気の流れを読んで、自分の身体を運用して相手をさばき、制し…

魂のこもった技

単に力の抜けた「きれいな技」と、本当に人を感動させる「魂のこもった技」は全く違うものである。 脱力は、勿論大事なことである。しかし、力を抜くあまり、気を抜いてはいけない。魂まで抜いてはいけない。魂がどっかに行った状態でまともに戦える訳がない…

いつの間にか忘れてしまった大事なこと

どこかおかしいんじゃないかと違和感を覚えつつも、「大人になる」とか「社会人になる」ために、周りに合わせて覚えてきたことがある。 そして、いつのまにか「真人間」になる道から外れていた。「真人間」といったものがあることすら忘れていた。周りに合わ…

自由とは

自由とは、自らの手でつかみとっていくもの。 人から与えられた「自由」は本当は「自由らしきもの」で、本当の自由ではない。 自らの足で立って歩き、自らの頭で判断し、自らの手でつかみとっていくプロセス。 それこそを真の自由という。 人から与えられた…

改めて武術とは?

武術は自分の身を護るためにある。自分の身を護るとは、自らの身体だけではなく心、また尊厳をも護るためのものだ。 それは、どこまでも相手をみつめ、寄り添っていく為のもの。また、相手をどこまでも尊重することでもある。 自分に余裕があれば、相手に優…

居着き

武術で「居着き」とは、事に際して判断不能となり、精神と身体が硬直してしまって身動きが取れなくなることをいう。 水に居着きはない。自然に居着きはない。 居着くのは人間のみだ。 否、人間も自然の一部なのであるから、本当は全て動いている。 動いてい…

本気で、本音で生きろ

全力を出さないように周りに気を使いすぎている間に、どんどん歳を取っていく。本当にいいのかそれで? 自分を誤魔化そうとすればいくらでも、誤魔化すことはできる。こんなもんだって、自分を決めてしまうこともいくらでもできる。でも、本当にいいのかそれ…

小さな声こそ聴きのがすな

大きな声で勢いよく語られた言葉は、多少内容に問題があるものでも、人を動かす力がある。でも、真実はさりげないものである。声高に自分の正しさを主張したりはしないものだ。だってそれは真実なのだから、真実に近ければ近いほど、わざわざ自分の正当性を…

何をカッコつけてるんだ

自分を大事に可愛がる気持ちがある。自分が何か特別な人間だと思う気持ちもある。でも、カッコつけて、自分を着飾っているうちは、本当の自分に出会うことはできない。変にカッコつけるのではなくて、ありのままの自分を見つめてみればいい。 自分を特別な人…

黄砂に吹かれて

工藤静香の「黄砂に吹かれて」という歌がある。作ったのは中島みゆきなのだが、この歌の2番の歌詞に「微笑みづくで終わらせた恋が夢の中悲鳴あげる」というところがある。これが最近妙に心に引っかかるのだ。 自分の力ではどうにもならない事態、直視するの…

選択できなかった生き方

あの時あっちの道を選んでいたらどうなっていただろう。歳を重ねるごとに、こうした思いも増えていくのだろう。考えても仕方ないこととは知りつつも、ついつい考えてしまうときがある。 でも、よりによって「何故今そのこと」を思い出す? 「他に選べたかも…

「仕方ない」を超えて

中島みゆきの歌に「仕方ない 仕方ない そんな言葉を覚える為に生まれて来たの?」という歌詞のものがあった。 そう「仕方ない」と言ってしまえば、それで終わり、片がついてしまうのだが、果たしてそれでいいのか。 結論を早急に出すこともない。一体何が正…

自分の力でつかめ

自分の成し遂げたいこと、やりたいこと、手に入れたいものがあるのならば自分の力でつかめ。自分から動いて取りにいけ。人の力を当てにしてはいけない。人の行動や言動を第一要因としてそれを頼りにしてはいけないのだ。人を基準にすると必ず「言い訳」の余…

丸くなる

成長すると人格が丸に近づいていくが、はじめから丸い形で大きくなっていくのではない。あっちが膨らみ、こっちも膨らんで、はじめはいびつな形から丸く成長していくというのが、ホントの姿だと思う。 ある一つのことに徹底的に打ち込んでみることが大切な時…

全てを高める運動とは

身体運動が単なる「運動」に留まるものではなく、その人の心や人間性、生き方まで変える様なもの、「人生に響く様な運動のあり方」ということは何かとずっと考えていた。 身体だけ鍛えればいい、筋肉だけつければいい、あるいはまた試合に勝ちさえすればいい…

「愛」という言葉はときに重過ぎる。脆さや危うさ、嘘くささも入っているかもしれない。 単に「好き」でよい。「ああ好きだな」が一番自然なのではないか。

力の抜き方

力の抜き方は力を入れてみなければ分からない。はじめから力が抜ける訳ではない。「達人技」は自分を磨き、練り上げていった先に生まれるものであって、初心者が真似をしようとしてもそれはうわべをなぞるだけの全く別のものにすぎない。 老練な動きも、「全…